1963.5. 豊橋市内  Photo by: Taro Satomi

豊橋電気軌道は1925年(大正14年)には豊橋駅前−東田間及び神明−柳生

橋間が開通、日本車輌製の40人乗り単車1〜6号(後に100形へ改称)

が導入された。

1939年(昭和14年)には名古屋鉄道の傘下に入ることになった。ちなみに名古

屋鉄道は翌1940年(昭和15年)に渥美電鉄とその傍系会社である豊橋自動車

を合併しており、この時点で三河地区の交通網をほぼ掌握したことになる。

太平洋戦争中の1945年(昭和20年) 6月20日の豊橋空襲により軌道は全線が

不通となるほどの損傷を受けたが、幸いに車輌の喪失はなく、戦後は都市

復興計画の線に従って複線化、線路移設並びに路線延長を実施した。

全盛期には本線の市役所前−東八町間はグリーンベルトで隔離された

専用軌道が設けられたりしたが、それも束の間、その後の自動車の氾濫に

より1961年(昭和36年)にはグリーンベルトを廃止し併用軌道に戻っている。