
現代ではあまり使われなくなった鉄道死語を集めていきます。面白い死語がありましたら、どうぞメールか掲示板に書き込みをお願いします。 |
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このたび、オープンした三ノ輪橋駅前ビル・・・って云う程大きな建物でないですが・・・。の、花壇・・・というか植え込み?に使われて居ますね・・ |
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私が初めて機械式ATSを知ったのは、学研の図鑑「機械の図解」の「地下鉄」の項目だったのですが、その頃は小学生で電車で外出する事は殆ど有りませんでした。その後、営団銀座線や丸の内線の駅で下車した後、ホームから線路を見下ろすと、線路の真ん中から「ひょっこり」と何かが立つのを何度も目撃したものです。日比谷線で使われているATOは、世界で一番進んだ保安システムだって昔貰った「地下鉄の話」に載ってたもんですが、本当にボタン一つで列車の自動運行が出来る物なんでしょうか? |
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最後は東京都交通局の荒川車庫でのみ自前で生産されていたと聞いていますが、今の7000系や7500系には「平成七年改良」と云う様な表示が有ります。多分、これは、ビューゲルをパンタグラフに置き換え改造の事を言うのでしょうか・・・?(未確認)
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昔の客車には必ずと云って良い程、瓶ジュースの王冠を開ける栓抜きが装備されて居ましたよね・・・。
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一時期、JR(当時国鉄)方式の「磁気反発式」のリニアモーターカーに対抗して、「磁気吸引式」のリニアモーターカーとして、日本航空が開発していた「HSST」という方式が有りますよね・・・。前者は、宮崎の後に山梨に実験線が出来て鉄道橋として初めて「ニールセン・ローズ型」の橋が採用されたり、しばしばマスコミ等に登場したり・中国の首相が試乗したって話も有りますが・・・後者・HSSTは何処に行って仕舞ったのでしょうか?#一説には、日本航空が開発を断念して、名鉄の子会社に売却して細々と開発自体は続けて居るそうなのですが・・・。つくば万博ではあんなに脚光を浴びていたのに・・・(笑) |
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気象掲示板という用語が鉄道死語として山下耕象さんが報告なさって居られますが
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昭和19年頃の話ですが、その頃私は鷹取機区におりまして、ある非番の折り、区員の5人らと近くの通称高取山へ登るときのことでした。中年の機関士が急に立ち止まり、赤塗りに「工」と記されている杭に指を指し、これ何の印か知ってるか、と未だ新米で若かった私に聞いたのです。「工」は判るけれど、こんな山中に鉄道の敷地?何するのこんなところで?と聞き返したところ、中年機関士は、ここに「弾丸列車」を通す予定らしいわ、とのことでした。当時は戦時たけなわの頃でそんな話は夢物語だと私は思いました。それが今では「弾丸列車」に相応しい新幹線が。
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私が子供の頃(昭和40年代前半?)、母や祖母が「三宮へ省線で行こう」などと言っていたのを良く覚えております。 省線とは文字通り「鉄道省の線」で、昭和24年に日本国有鉄道が公共企業体として発足する前の名称ですが、国鉄が発足して20年経った時代でも「それなりに」広く使われていた様です。 これは私の独断的な見方ですが、いわゆる「省線」とは大都市近郊の通勤区間、もしくはそこを走る通勤電車(特急をさすがに省線とは言わなかった)を指す言葉であって、地方線区では「汽車で」と言ったのでは無いでしょうか? 昭和50年にもなると、省線という言葉はいつしか聞かれなくなり、単純に「国鉄で」となったようです。 ちなみにJR発足後10年以上経っても、つい口をすべらせて「国鉄」と言ってしまう私は順応性がないのか、それとも国鉄への愛着(忠誠心?)が有りすぎるのでしょうか? |
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同じく昭和40年代の半ば頃まで良く聞いた言葉ですが、恥ずかしながら正確にどういう事業を行う団体なのか存じません。 古い時刻表などに良く見られた関係で、出版等もやっていたのでしょうか? 私が就職してすぐの頃、上司のお父上が定年退職される前は鉄道弘済会の社員で、国鉄の食堂車で勤務していたという話も聞いたことが有りますが、そういう事業もやっていたのでしょうか? 逆にご教授願えれば幸いです。 |
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「発駅着席券」の方は手持ちの昭和46年の時刻表に有りました。 何れも基本的に着席を保証しない自由席に優先的に座るための券ですが、「発駅着席券」の方は時刻表の記事を見るに有料(急行券とは別)で、出発の1ヶ月程前に指定された駅で一斉に発売(値段記述なし)と有ります。 どうやら盆正月の混雑期のみ、特に自由席主体の列車を対象に発売していた様です。 「乗車整理券」は手持ちの書籍にコピーが載っている(昭和44年西鹿児島の例)だけで、あくまで推測ですが、始発駅で発車当日何らかの方法で入手し、決められた時間までにホームに並んで、券を呈示した人から順番に車内に入れるというシステムがあった様です。 死語ですよね? |
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かつて国鉄が小口荷物の集配をやっていた頃、ちょっとした駅には出札口の脇に「荷物取扱所」が必ずあり、荷物の輸送業務の他、今で言うコインロッカー的な一時預かりもやっていたと記憶しております。 荷物の窓口奥には大きな秤が有ったのが懐かしいです。 |
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ご説明するには忍びないですが、最近廃止されたと聞いておりますので、、、今後10年も経てば「周遊券、それ何?」と言われるのでしょうか? |
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私が子供の頃、阪急電車の一番前から前方を眺めていると、目に付くのがあの「揺れる白い旗」でした。 踏切が連続する区間ではなかなか壮観な眺めだったのを覚えております。 各踏切に1名の職員を配置するのですから、採算性という意味では極めて非効率だったのでしょう。 阪急では昭和40年代後半には警手は居なくなったと記憶していますが、京福電鉄(現在の叡山電鉄)では昭和55年当時でも白旗にお目にかかりました。 また国鉄東海道線の踏切では、膨大な数の通過列車を管理するため、いわゆる硬券サイズのカードに通過列車名(多分列車番号)を書いたものを、逆U字形の鉄の棒に通し(カード全体の厚みは30cmを優に超えていました)、列車が通過するたび右から左へと1枚づつ動かしていた様です。 |
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国木田独歩の「武蔵野」に出てきます。鉄道自殺の意であり、あまり良い言葉ではないかも知れませんが、いかにも明治の言葉という感じがします。 |
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これには、公序良俗の観点から言うも憚られる意味があります。詳しくは、例えば吉行淳之介の随筆など御覧下さい。やはり、本物の花電車が縁遠い存在になるにつれ、変な方の意味も忘れられたようです。 |
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ワッペンを着席整理券として乗客に付けてもらい駅の外で並ぶ、昭和40年代だっただろうか?
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死語といってもテレビカーとかビスタカー…その他諸々…は私鉄側でもまだ使っています。会社としても使っていない物として、南海のズームカーなんかどうでしょうか?
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まだ通じるでしょうか。 |
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これは、鉄道用語ではないですが、鉄道施設から生まれた言葉でしたね。まだフレームの付いたバックパックが普及していない頃、北海道を長旅する学生は、横に幅をとるリュックサックを担いでいて、それだと駅の改札を通れないので、横向きに歩いて改札口を通り抜ける。そこから付いた名前でした。 |
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私が覚えているのは、70年頃に房総でキハ26−400を使った観光列車がありました。団体募集で、申し込むとワッペンをくれてそれを乗車中付けておく決まりになっていたと思います。菜の花の頃に走ったのを覚えています。 |
既にビスタカー、テレビカー、パーラーカーが収録されているのでもう充分であると思うのですが、XXカーという呼称は50-60年代の流行だったのでしょうか。一寸思い出してみたのですが、ジェットカー、スーパーカー、ラビットカー、ズームカー、パノラマカー。阪急には電子頭脳電車というのがありましたね。近鉄特急のエースカー、スナックカー。こうしてみると、関西私鉄の通勤車に意欲的なXXカーが多かったという事でしょうか。関東ではロマンスカー(小田急、東武)以外には、XXカーという呼称はステンレスカーくらいしか思い出せません。近鉄がLCカーという車を作ったそうですが、それがXXカーの復活の兆しなんでしょうか。 |
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現在その昔の「国電」に相当する用語は何を使ったら良いのでしょうか? |
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「大型コンソリデーション」の略称らしいのです。9200型が代表例らしいのですが詳しいことを知りたいと思います。 |
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かつて展望車を連結した車両の方向を転換するために使われていたのですが…。 |
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かつてEF58の晩年に追っかけたのですが なぜか時刻表に載っていたんですよね。なぜなのでしょうか? それと編成の中にスニ40とスユ44がいましたけど、どうみても客車には見えなかったような記憶があります。 |
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もしかしたら 編成美なんて言葉も死語かもしれませんね
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私の推薦する鉄道死語としては、蒸気機関車の「化粧煙突」や「集団就職列車」、「順法闘争」といったところが思い浮かびます。また、列車名では夜行列車の廃止によりなくなった「月光」や「明星」も挙げられます。 |
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大阪駅前の繊維街にテント村が張られて年末帰省客の待合場所に提供されていました。阪神百貨店の裏はとても面白くて充分の広さがありました。 |
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これは憧れの高速電車の代名詞でした。運転台のすぐうしろでちょうど阪急神戸線、塚口を過ぎて武庫之荘過ぎるあたり弱め回磁を運転手先生が立ち上がってノッチを入れるときは興奮します。そのとき110kmを920番台はねらっています。
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むかしの話しをしていると「きり」がないのですが、「洒論会」という鉄道趣味者のビールを飲む会を、西尾克三郎さんが創られました。昭和46年のことです。来年が360回、30周年になります。そのなかで わたしが西尾さんの時代に生まれてたら良かったと申しましたら、やはり先輩「わしもなぁ、岩崎・渡辺(コレクション)の時代に生まれかった」とおっしゃっていました。それぞれ思いが昔の写真から逆上って行くのでしょう。だから 今ある現実をきっちり記録していくのが、西尾さんの時代であり「I・W」の時代であり、このinternetの現在に人生の華を咲かせていくことと思います。政府慣行のお仕着せのない「解放された趣味」を拡げるために。 |
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貨車もなつかしいですね。 |
機械連動の転轍機 |
大きな駅の信号所にはてこがたくさんならんでいました。 |
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ローカルネタですが、私が幼い頃住んでいた福岡市では、昔ゴールデンウィークの博多どんたくになると、当時の西鉄路面電車が装飾を付けて走っていました。それを「花電車」と呼んでいましたが、路面電車が廃止になり、かわりに「花自動車」になってしまいました(今でもやってるか知りませんが)。なんとも味気ない感じがしたものです。 |
「花電車」にはもうひとつの意味がありました。戦前、院電や阪急には女子学生専用の車輌や列車が設けられていて、それが「花電車」と呼ばれていました。もっとも女子学生専用車を設けた理由は、現代の感覚でいう女性保護というよりも「男女席を同じくぜず」といった儒教思想的な意味あいの方が強かったようです。だから実際に専用車に乗るのは下級生ばかりで、上級生は男子学生のいる一般車の方に多く乗っていたというエピソードもあります。(里見) |
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言わずと知れた改札ハサミです。業界用語では「パンチ」「改札ばざみ」です。 |
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改札台のことで、「ラッチ」は「埒があかない」の「らち」つまり柵を言うのですが、それが訛って「ラッチ」です。「フネ」は形が似ているからです。 |
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ホームの先端に設置した円形の表示で、通常は「異常気象掲示位置」とか書いてある木札があるだけですが、強風や強雨になると列車指令から指示が来てホーム係員が掲示しました。以前の鉄道書ではその図柄と略号が出ていたものですが、今では見ることができません。(例=テケミ=天候警戒運行見合わせ) |
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FAXが普及する以前、指令はすべてテレックスで受信していました。構造は感圧紙みたいなロールペーパーに、針先が触れると発色するもので、その際、トランスが焼けるような臭いがし、ピーピー、キーキー音がするので受信が始まったことが判ります。スピードは遅いのですが、FAXが普及しなかった当時、驚きの目でみたものです。 |
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生産性向上運動のこと。頭文字を○で囲ったから。マル生は赤字に悩む国鉄が昭和40年代末期に取り入れた施策の一つで、結果的には労働強化であると組合が猛反発し、これに対抗する手段として順法闘争(本当は遵法闘争)が生み出されました。 |