ゲタ電

1958.3. 西九条駅西方 Photo by: Tadao Nakajima

(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)

佐藤学さんよりご教示頂きました。

 

(佐藤学さん)

 今晩は。ふと思い出した言葉なのですが、「ゲタ電」というのはまだ

 生きている言葉なので しょうか。実態としては、私が子供のころ、

 60年代にも、もう下駄履きで電車に乗っている人はほとんどいな

 かったでしょうが、言葉としては今でも使われているのでしょうか。

(中島忠夫さん)

 そうですね。下駄も大晦日に祇園へ2001年の祈願に参りますので、

 これは下駄をはいてても、いっちょらいの特別電車ですね。

 いまのコッボリ 20cmもあるFasionの嬢客が現代げた電という時代

 でしょうね。そちらでは 現在どういうギャグになっていますか。??

(里見)

 実は私は「ゲタ電」という言葉が日常で使われているのを耳にしたこと

 はないのです。職員とマニアの間だけで使われていたのか、あるいは

 単に私が聞いたことがないだけなのか。

 「ゲタ電」で面白いのは国電に革命をもたらしたモハ90形(後の101

 系)が登場したとき、(「中島忠夫写真館」に画像がありますのでご覧

 下さい)頭の古い国鉄上層部が若い設計者に対して「ゲタ電に蛍光灯

 や扇風機をつけるとは何ごとか!」と怒鳴ったと言うという話があり

 ます。当時のゲタ電の地位が知れる話として私は好きです。

(佐藤学さん)

 私も「ゲタ電」という言葉を自分で使った事はあまりありません。

 鉄道雑誌以外で覚えておりますのは、70年頃に72系がどこかの

 路線から引退するのを報じた新聞記事の見出しに「ゲタ電」とあった

 こと。あと、同じ頃に多分京浜東北線の車内で、父が桜木町事故の

 話をしてくれて、「こういうゲタ電という電車で窓が開かなくて沢山の

 犠牲者がでたのだ。」といっていた事です。私は中央線沿線の出身で

 物心ついてからずっと101系になじんでおりました。どうやら、父は

 床が木張りだから下駄電と思っていたふしがあります。新聞記事も

 72系までがゲタ電というつもりだったようです。私の理解では、101系

 以降も通勤形である以上ゲタ電だと思っているのですが。

 そもそも語源も、ゲタ履きでも気軽に乗れる、という事なのか、ゲタ

 代わりになるくらい本数が多くて便利、という事なのかどちらなので

 しょうか?よくわからなくなりました。

 私が好きなのは、葡萄色の72系900番代です。葡萄色の101系が

 あってもよかったと思います。

(中島忠夫さん)

 佐藤学さん!まったく意見がピッタシカンカン当たりました。モハ73。

 西成線の西九条の西 子供のころからこの八本松ならぬ 八本煙突が

 大阪の中心地のわが家から夕日のころ、よく見えました。5年生のとき

 ともだちと自転車で西へにしへと走りましたが、安治川の渡しを越えて

 も煙突は見えるのにそばに行けません。日が暮れてしまい、失敗。

 就職して1年後のボーナスでパール三Lを手にいれ、ライカ版から

 脱皮しました。

 そのとき狙ったのが、つばめ と かもめ の擦れ違い、失敗。

 もう自転車より 西成線、で行くしかない。憧れの神々しい煙突のまえ

 に来るのはなんと俗っぽ過ぎる63でしょう。しようがないけど下駄

 電車が煙突参りになりました。電車の番号はわかりませんがモハ73

 です。これこそゲタで乗れる電車でしょう。33年3月ころです。

 城東線・西成線がいまでも懐古趣味ですが生きています。だから

 新今宮to西九条 is only 環状線。とどこかの鉄道誌に書きました。

 ところで本題に戻って、20m車や17m車が、ときには愛する木造車も

 一緒につながって走っている姿、これぞ憧れの"ゲタ電"ではないで

 しょうか。山手線の迫力は 流石 東京!。

 いまで言えば電車博物館が目のまえに生きていました。

 そんなん写真どころやない駅名どころやない。関西の自慢も飛んで

 しまいました。こっちはかっこいい、だけど東京はなんでもありの

 ごチャゴちゃが わたしを驚かせて敬遠させてしまいました。

 73からえらい脱線してしもて、飯を食うのも忘れそう。

 まぁ酒があるさ。

  

1954. 新宿駅 Photo by: Tadao Nakajima

(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)