飾り窓

1958.4. 布忍駅 Photo by: T. Satomi
中島忠夫さんよりご教示頂きました。
鉄道車輌に限らず一般的に「窓」は様々な機能を持っている。
最大の機能は「採光」と「換気」であろう。また外の景色を眺めるための
「眺望」としての機能も有している。鉄道車輌の窓も同じである。
またある時には緊急時の脱出用としても用いられる。窓が全くない部屋に
押し込められると人間は強いストレスを感じるが、これはいざとなっても逃げ
られないことに対する本能的な恐怖感かもしれない。残念なことにモハ63形
電車の3段窓は緊急脱出という機能を発揮できない構造になっていた。
しかしこれらの機能を有しない単なる装飾用の窓もあって、これを「飾り窓」と
呼ぶ。飾り窓というとなにか浪漫的なことを空想される方もいらっしゃるとは
思うが、ここでご紹介したいのは文字通りの「飾り窓」である。
欧米の鉄道では早くから飾り窓が採用されていた。装飾のためだけの窓、
それは豪華列車の象徴であり、鉄道車輌が単なる移動する箱ではないことを
表現している。「或る列車」として知られる九州鉄道が明治末期にアメリカから
輸入した豪華客車には半月形の巨大な飾り窓が見る人を魅了した。
その影響か半月形の飾り窓は大正期から昭和初期にかけて、例えば京成
電鉄の20形や箕面有馬電鉄の1形など私鉄電車に多く見られるようになって
くる。
そんな中で飾り窓に最もこだわった鉄道会社が大阪鉄道であった。
同社では正面5枚窓の木製電車デイ形に美麗な飾り窓を施して一躍評判
になった。大阪鉄道ではこれが余程気に入ったと見えて後に車体が鋼体化
されたデロ形や、更に近代化されて正面3枚窓となったデイ100形にも
飾り窓は残していた。
もっとも鉄道車輌に遊び心が通用したのも昭和初期までで、そうこうしている
内に太平洋戦争、戦後の混乱期、そして高度成長期に至るまで鉄道車輌の
デザインは実用一点張りの世界となり、人々は鉄道ファンも含め、飾り窓の
電車のことなど遠い昔の話として忘れ去ってしまったのである。
写真は大阪鉄道が近鉄南大阪線となった戦後もしばらくの間、飾り窓のまま
走っていたかつての名車達。
上は元デロ形からの生き残り車の5621形5622で、1925年(大正14年)田中
車輌製、下は元デイ100形の5651形5659で、1927年(昭和2年)日本車輌
製である。(里見)

1958.4. 布忍駅 Photo by: T. Satomi

