パーラー・カー

1960.5. 宮原電車区 Photo by: T. Satomi
パーラー・カーとラウンジ・カーとロビー・カーとサロン・カーのそれぞれの
違いは何かと問われると、多分誰も即答はできないはずである。
そもそもパーラー、ラウンジ、ロビー、サロンといった英語は日本人の日常
生活の中に溶け込みきった外来語でありながら、それぞれの意味の違いを
性格に把握している人は、私を含めほとんどいないと思うからだ。
まあ何となく豪華な車輌という意味であって、各車輌についてそれ以上の
深い意味を追求する必要はあるまい。英語を使うことによって意味が曖昧
になる(日本人にとっては)がゆえに乗客は勝手に豪華なイメージを膨らま
せるのである。
特急「つばめ」は日本で最も風格のある列車名であるといって差し支えない。
東京−大阪間を結ぶこの栄光の特急列車は戦後の1950年(昭和25年)に
「平和」の後を継ぐ形で復活し、10年後の1960年(昭和35年)に151系電車
に置き換えられた。
151系電車はすでに1958年(昭和33年)に「こだま」としてデビューを果たして
いたが、「こだま」の位置づけがビジネス特急であったのに対し、「つばめ」
は同じ151系電車ながら正統派特急として新製の食堂車サロ151形と
パーラーカーと呼ばれるクロ151形とを連結した。
サロ151は客車特急時代の展望車に相当する車輌として豪華仕様が
施され、前半部に4人用の区分室(コンパートメント)、後半部の開放室に
1人掛けリクライニングシート14脚を配した。(従って定員はわずか18名)
側面には1mX2mという当時としてはケタ外れに大きな窓ガラスがはめ
こまれ、各座席には給仕を呼ぶベルボタン、ラジオ用ジャックに加え、公衆
電話(携帯式)用ジャックまで備え付けられていた。40年前の鉄道車輌に
これだけの装備が施されていたのは驚嘆に値する。
「つばめ」は1962年(昭和37年)の山陽本線広島電化に伴い、東京−広島間
を結ぶロングラン特急になったが、瀬野−八本松間(通称セノハチ)では
出力不足のために自力で峠を越えることができず、EF61形電気機関車に
後押ししてもらうという一幕もあった。
1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業によってクロ151は「つばめ」と共に
西へ下り、晩年はクロハ181を経てクハ180・181に格下げ改造が行われ、
パーラー・カーは人知れず消滅していった。
尚、クロ151形は1964年(昭和39年) 4月24日に、クロ151-7が草薙−静岡間
の踏切でダンプカーと衝突して大破、新性能電車における廃車第1号になる
という不名誉な記録保持者でもある。

