レールバス

1958.10. 直方機関区 Photo by: T. Satomi

「レールバス」は一度死語になり、その後復活した珍しい鉄道用語である。

旅客輸送量の少ない地方線区用に、製造コストが比較的安いバス用の

車体を搭載した小型車輌については欧米では早くから実用化が進んで

いたが、国鉄でも1954年(昭和29年)に4輌のレールバスを試作した。

この車輌はエンジン、クラッチ、変速機といった動力系装置はもちろん、

ヘッドライト、ワイパー、クラクションといった小物に至るまで自動車用の

量産部品が用いられていた。ちなみにエンジンはバスの世界で一世を風靡

していた日野自動車製のアンダーフロアバス用DS21型(60PS)とDS22型

(75PS)が採用された。

車体も全長10,900mm、全高3,051mmしかなく、20m標準型気動車だった

キハ10形と比較すると長さは約半分、高さは約2割低く、体積比では

わずか47%と小ぶりでありながら乗客定員は60名で、キハ10形の102名

と較べれば結構お得であることがわかる。更に自重もキハ10形の40%

の10.4tに抑えられていたので、燃費の面でも相当よかったに違いない。

貨車と同じ2軸ゆえ乗り心地については望むべくもないが、バス路線との

競争に苦戦を強いられつつあった地方路線にとっては起死回生の決定打

となるべき車輌だった。

こうして国鉄のレールバスは1954年(昭和29年)と1955年(昭和30年)に東急

車輌にて49輌が製造され、キハ10000・10200形と命名、称号改正で

キハ01・02・03となった。

しかしこうした期待を受けて登場した国鉄レールバスも結局後が続かず、

昭和30年代後半には廃車も出始め、残ったものも休車が目立つように

なり、昭和40年代始めに誕生からわずか10余年で全車姿を消してしまった。

理論的には絶対に経済効率の面で優れているはずのレールバスが、赤字

にあえぐ国鉄にあってなぜ育たなかったのかという点については、これは

ちょっと解説が難しい。「色々事情があったのでしょう」ととりあえず逃げる

しかない。

ひとつ言えるのは、当時の国鉄は電車も客車も気動車もやっきになって

車体の20m化と装置・機構の統一化を推進している時であり、あまり異端

な車輌は持ちたくないという状況があったかもしれない。

ただ国鉄以外に非電化の地方私鉄においてもレールバスは普及せず、

有名な南部縦貫鉄道の富士重工製キハ101を始め数例があるにとどまった。

こうして日本においては982年(昭和57年)に富士重工が第3セクター用の

救世主としてLE−Carを誕生させるまで20年間近くにわたってレールバス

不在の時代が続いたのであった。

1977.8. 野辺地駅 Photo by: J. Satomi