近代化改装客車

1974.3. 岩見沢客貨車区 Photo by: J. Satomi

太平洋戦争による空襲で国鉄は多くの客車を失い、生き残ったものも荒廃

著しく、しばらくはこの復興に大わらわの状態が続いた。

終戦直後はボギー貨車のワキを旅客用として用いた「代用客車」も現れ、

焼損した客車や電車は応急修理を施し「戦災復旧客車」として再生した。

老朽化した木製客車には、足廻りを利用して鋼製車体を新製したオハ61形

をはじめとする「鋼体化工事」を実施した。

そのようにして終戦後15年たった1960年代初頭になると、全部で1万輌

以上在籍し、旅客車輌の主力だった客車も一応の整備が完了した。

しかしこの頃になると次々に登場する新鋭の電車や気動車に較べて、特に

内装面で大きく見劣るようになってきた。そこで今後も10年以上にわたって

使用される見込みの2等車約5,000輌の内の2,000輌に「近代化改装工事」

が施されることになり、1963年(昭和38年)よりオハ35系やスハ43系を中心

として工事が実施されていった。

具体的な近代化改装の内容として、室内を明るい色に塗り替え、照明を白熱

灯から蛍光灯に変更、窓下に小型テーブルと灰皿を取り付けた。

また全車ではないが窓をアルミサッシに、乗降扉を木製からプレスのスチール

製に交換したものもあった。天井には扇風機を装備して乗客サービスの向上

をはかっている。これら近代改装が施された客車は原則としてブルーに塗り

替えられ、外観上容易に区別できるようになっていた。

近代化とはいっても冷房装置が装着されたわけではなく、現代のレベルから

みれば可愛い限りの近代化だが、考えてみればこれは鉄道の世界に限らず

扇風機・アルミサッシ・蛍光灯というのが、まさに当時の平均的日本人家庭

における「近代化」を象徴していたようなようにも思えるのである。

上の写真は1950年(昭和25年)に新潟鉄工所にて製造されたスハ42 126を

1960年(昭和35年)に国鉄旭川工場にて近代化改装したオハ36 126、近代

化改装によって形式まで変わった例である。