汽車会社

1974.2. 天王寺駅 Photo by: J. Satomi

汽車会社は正式名を「汽車製造株式会社」といい、「鉄道の父」と呼ばれた

井上勝子爵が鉄道局退官後の1896年(明治29年)に創設した日本最古の民間

鉄道車輌メーカーである。

創立時の出資者には黒田長成、前田利嗣、毛利五郎、岩崎久彌、住友吉左

衛門、澁澤栄一、安田善次郎、大倉喜八郎等、当時名うての旧藩主、大財閥

の当主達の名前が連なっている。

同社の栄えある製造番号1番は、1901年(明治34年)製の台湾鉄道部向けE30

形という1B1タンク機関車で、以後、様々な紆余曲折を経ながらも順調に業績

を伸ばし、大正期にはいると日本初の本格的量産機関車である8620形687

輌の内389輌を担当するなど川崎造船、三菱重工と並ぶ3大機関車メーカー

として成長を遂げた。当時は「汽車」といえばそれは「汽車会社」の事を意味し、

また頭文字をとって「K.S.K」と呼ばれることもあった。

汽車会社が最も意気盛んだったのは1941年(昭和16年)に同社の通算第2000

号機関車としてC59 1号機を完成させた時であったろう。C59形については

同社は戦前型100輌の内、下の写真の98号機を含む36輌を製造している。

しかし戦後の高度成長期に国鉄は急速に鉄道車輌の電車化・気動車化を推進

し、機関車中心の汽車会社の地位は大きく揺らぎ始めた。もちろん同社も電車

製造へと体質の転換をはかっていったが、時すでに遅く業績が悪化、1972年

(昭和47年)ついにかつての最大のライバルだった川崎重工業に吸収合併され

ることになり、76年間にわたる機関車製造の歴史の幕を引いた。

同社が最後に製造した機関車は、蒸気機関車追放の立役者となったDE10

形ディーゼル機関車の1171号機だった。

思い返せば国鉄最後の新製蒸気機関車となったE10形5輌の製造を担当

したのが同社であり、重厚長大を絵に描いたような同機の不幸な生涯が汽車

会社の行く末を暗示しているかのようでもあった。しかし「汽車会社」の名は、

数々の傑作機関車を世に送り出してきた名門車輌メーカーとして、今もファン

の胸に深く刻み込まれている。

  

 (布原安芸さんより以下のご指摘を頂きました)

 日本最古の民間鉄道車輌メーカと書かれていますが、これには問題

 があります。

 汽車会社よりも古い鉄道車輌メーカとしては、「平岡工場」(明治23年

 3月創業、汽車会社に合併)や蒸気機関車製造メーカーの「鉄道車輌

 製造所」(明治29年7月創業、明治34年倒産)がありました。

 後者は名古屋に存在したとされ、1900年に徳島鉄道の丙1形5号機

 (国有化後の180形)を製造したとのことです。(汽車会社蒸気機関車

 製造史編纂委員会「汽車会社蒸気機関車製造史」、臼井茂信「機関車

 の系譜図」を参照)正確には、汽車会社は日本最古級の車輌製造所

 というべきでしょう。

  

1959.7. 姫路第二機関区 Photo by: T. Satomi