車掌補

1961.5. 岡山駅 Photo by: T. Satomi

「汽車・博物館・流山」の山下耕象さんよりご教示頂きました。

  

 もともとは、戦前の列車ボーイでしたが、戦後国鉄化するにあたり

 列車ボーイではなく「車掌補」として、正式に国鉄の職階として制定

 されました。

 業務は寝台車の寝台のセット解体、乗客の掌握、電報取扱などでした

 が、合理化により「1車1」(=1両に車掌補1の配置)から「2車1」

 「3車1」と少なくなり、ついには運転車掌、乗客専務車掌の2〜3人

 程度の乗務になってしまいました。

  

「車掌補」というのは国鉄内部の専門用語で、一般には戦後も「列車ボーイ」

の呼び名で通っていましたね。

列車ボーイを日本で最初に導入したのは、急行列車、寝台車、食堂など

ことごとく新しいシステムを日本で最初に採用し旅客サービスに注力していた

山陽鉄道で、今から100年前の1998年(明治31年)のことです。

世の中に男と女がいて、いつの時代も男と女が思うことは同じで、男性客は

「つばめガール」など女性乗務員や食堂車のウェイトレスさんに心を惹かれ、

女性客は男性乗務員に惹かれます。しかも当時の列車ボーイは、採用条件

「身体強健・容姿端麗」がはっきりと謳われ、乗客サービスのための教育が

徹底し、すなわち親切で明るい美青年揃いだったわけですから、女性客の

人気は絶大で、必ず贔屓の列車ボーイが乗務する急行列車を選んで乗車

する女性客もいたようです。

海軍の伊東佑亨大将は、山陽鉄道の急行列車に乗務していたひとりの列車

ボーイに惚れ込み知り合いの実業家に紹介、この人が後に出世して「白木屋」

の山田忍三社長になるというシンデレラ物語もありました。

(おのつよし氏著「日本の鉄道100ものがたり【文春文庫刊】)

上の写真は東京−博多間を結ぶ寝台急行列車「筑紫」に連結された1等寝台

車のマロネ29形。(里見)