暖房車

1965.3. 天王寺駅 Photo by: T. Satomi

「くろがねのみち」の野沢英治さんよりご教示頂きました。

明治の鉄道創世期の客車には暖房設備がなく、上・中等車には温脚器という

名の湯たんぽが置かれていたが、下等車にはそれもなく、冬の旅はさぞや

難儀であったろう。さすがに北海道や東北地方の客車には早くから石炭

ストーブが装備されていたようだが、それ以外の地域の客車に蒸気暖房

装置がついたのは意外に遅く、1900年(明治33年)以降のことである。

蒸気暖房装置の構造は極めて簡単、蒸気機関車が発生する蒸気の一部を

蒸気管を通じて客車に分配するもので、最初に蒸気がくるときにはカーン・

カーンとけたたましい音響が車内に鳴り響いていたのが懐かしい。

高温の蒸気は、前の車輌から順に後ろの車輌へと送られる間に少しずつ

冷えていくので、概して前が暑く後ろは寒いという暖房ムラ起こりやすく、

温度の微調整も難しかったが、列車暖房の問題は一応これで解決できた

わけである。

しかし電気機関車が登場すると再び暖房をどうするかという問題が起こった。

一番手っ取り早いのが電気機関車の次位にボイラーを積んだ暖房専門の

車輌を連結、そこで発生した蒸気を客車に送るという方式で、そうして誕生

したのが「暖房車」である。上のスヌ31形の場合、石炭2tと水8.7m3を搭載、

10kg/cm2の高圧蒸気を1時間に800kg供給する能力を持っていた。車輌形式

の「ヌ」は「ぬくめる」から来ている。

しかし電気機関車牽引列車の中にわざわざ暖房だけの役割のために重い

車輌を1輌増結するのはいかにも非効率である。終戦直後、暖房車が不足

した時代には、電気機関車の後ろにわざわざ暖房用の蒸気機関車が連結

されて物笑いの種になったこともあったが、暖房車だってボイラーが車体に

覆われ外からは見えないというだけで、構造的には蒸気機関車を1輌牽引

しているのと大差はない。

というわけで1937年(昭和12年)に登場したEF56形以降の電気機関車は

蒸気発生装置を内蔵するようになり、暖房車は無用の長物として姿を消して

いった。

いわゆる分離式(セパレート・タイプ)から一体内蔵式(オールインワン・タイプ)

への移行は世の中の全ての商品が辿ってきた大きな流れである。ただ何が

なんでも一体内蔵式の方が優れているかというと実は一長一短あって、仮に

運用効率という点を無視するならば、暖房車が故障した場合は暖房車を交換

するだけで支障無く運転できるが、機関車内蔵の暖房装置が故障した場合は

機関車自体を交換しなければならなくなる。

似たような話は我々が使っているパソコンの世界にもあって、昔は全ての

周辺機器がバラバラにケーブルで本体と接続されていて煩雑かつ見た目も

悪かったが、最近では大部分の周辺機器が本体に内蔵され、非常にスマート

になった。ただ周辺機器のひとつが故障した場合、バラバラ接続であれば

故障した機器だけを修理屋に持ち込めばよいが、一体内蔵型だとパソコン

本体ごと持ち込まなければならない。当然その間パソコンは使えなくなると

いう次第である。