展望車

1982.12. 青梅鉄道公園 Photo by: J. Satomi

戦前の特急「富士」「桜」「燕」や戦後の「つばめ」「はと」といった日本を代表

する特急列車の最後尾に「展望車」と称する優等客車が連結されていたこと

はオールドファンならずとも誰もが知っている。

その展望車の形態的な最大の特徴は車端に設けられた優雅なオープンデッキ

にあった。国鉄の車輌解説書にも「展望車は旅客が沿線の風景を展望出来る

よう窓を広くし後部出入台に手摺りを設けて展望台としたもの」とある。

しかしこの展望台に立って流れ行く景色を飽きずに眺めていた風流な乗客は

実際には皆無に近かったのではないかと思う。日本はオープン・エアないしは

アウト・ドアという生活の楽しみ方をするのが非常に難しい国だからである。

日本は概して気候条件が非常に厳しい。よく日本人は自然を愛する民族、と

いうがこれは「パラドックス」であって、厳しい気候条件の中にあって大自然

をコントロールすることは出来ないから、自然と仲良くやっていくしかない、

それならいっそ自然を愛してしまおうという、一種の諦念である。

四季豊かな日本の風土、というが1年の大半は非常に暑いか寒いかのどちら

かであって、そうでない時は梅雨と高い湿度に苦しめられるか、あるいは火山

国特有の砂埃、さもなくば台風に襲われたりしている。

欧米型のレジャーがなかなか日本に根付かないことに苛立ちを覚える方も

いらっしゃるが、本当に季候のいい時期というのがそれこそ1年の内で数週間

しかない日本の気候条件下で欧米型のアウトドア・ライフを楽しむのはどだい

無理な話なのだ。

いつか一戸建てのマイホームを持ったら庭にオープンデッキのテラスを設け、

友人を呼んでガーデンパーティーを開こう、幸運にもそういう欧米的情景を

実現させた人も、実際にパーティーを開くのは1度か2度で、以後このテラス

は物干し台として使用される。再利用出来るテラスはまだいいが、バーベキュー

用の備長炭の残りは物置に仕舞われたまま風化していく。

話が脱線したが、かくして日本の展望車は空調のよく効いた密閉式のもので

なければならない理由がそこにある。

もっとも展望車が消えた直接の理由は、そういうことよりも展望車が常に列車

の最後尾にこなければならないという物理的要因にあったかもしれない。

鉄道は自動車や飛行機、船などと違って基本的に1次元の線上を往復運動

する交通機関であって、単純に列車をひっくり返すことは出来ないから、わざ

わざループ線を廻って方向転換するというメビウスの輪のような手品を披露

しなければならなかった。

列車ダイヤの過密化と車輌運用の効率化に伴ってそんな悠長なことはやって

られなくなり、展望車的な色彩を持つサロンカーのようなものはその後も

リゾートトレインや寝台列車などに登場しているが、少なくとも列車の最後尾

にこなければならないという考え方はばっさり切り捨てられた。そしてそういう

車輌をもはや「展望車」とは呼ばなくなった。