T.K.K.

1960.5. 田園調布駅 Photo by: T. Satomi

T.K.K.は東京急行電鉄の略称である。

これは鉄道会社に限らず、昔は会社名をアルファベット3文字に略すのが

流行り、日本鋼管をN.K.K.、住友商事をS.S.K.と呼んだりした。

もっとも英語社名からの略号ではなく、日本語であるところはちょっとご愛嬌。

(最後のKは「株式会社」)

同じように京王帝都はK.T.R.、京成をK.D.K.、小田急はO.E.R.、京浜急行

K.H.K.と略されたが、小田急が英語からの略称(Odakyu Express Railways)

である点は、さすが同社のハイカラな生い立ちを表している。ちなみに東武

鉄道や西武鉄道にはこのような略称はなかった。(あったかもしれないが

一般には知られていなかった)

東急電鉄では電車の車体に大きなK.S.K.の切り抜き文字を貼り付けて

誇らしげだったが、終戦直後、同社の輸送実態はそんな優雅な状況では

なかった。太平洋戦争中の空襲で多くの電車を失い、残った電車も荒廃

著しく、まずは電車の数を揃えることから始めなければならなかった。

当時は電車の新製は政府運輸省からの割当制で、そんなのを待っていたら

いつになることやらわからないので、そこらへんに転がっている戦災で動け

なくなった国電を自らの手でかき集め、これを修理して使った。

上のクハ3673は、1945年(昭和20年) 4月13日の東京空襲によって池袋

電車区にて全焼した国電モハ30 035を買い取り、1948年(昭和23年)に

東横車輌(現在の東急車輌)で鋼体を流用して再生したもの。側面に

どことなく国電モハ30形の面影を残している。

その後の高度成長期には、東急電鉄ももちろん輸送力を強化していったが、

それ以上に東横線沿線の都市化がものすごい勢いで進んだため、常に

車輌不足、輸送力不足の状態が続き、沿線住民は慢性的な混雑から

逃れることが出来なかった。それゆえ沿線の利用客は、恨みを込めて

T.K.Kは「とっても・混んでて・殺される」の略称だと密かに陰口をたたいて

いた。