1974.1. 長門機関区  Photo by: J. Satomi

明治初期に交通途絶の地と呼ばれた山陰地方において、その大動脈と

なるべき山陰本線京都−幡生間が全通したのは非常に遅く、実に1933年

(昭和8年)のことである。最後まで未通で残っていたのが須佐−奈古間と

正明市(現在の長門市)−滝部間だった。

山陰線創業時の機関車は、東海道・山陽本線他で使い古された雑型機関

車が寄せ集められ、具体的にどのような機関車がどこに配置されていたか

も正確にはわからないというのが実態だが、大正末期になると旅客用として

6700形・6760形・8620形、貨物用として9600形といった制式機関車

が配置されるようになった。

太平洋戦争後は山陰本線にもD51形が続々と入線、特に正明市機関区

(後の長門機関区)にはD50形を飛ばしていきなりD51形が配置され、

長門機関区は蒸気機関車終焉の時期まで西山陰におけるD51形蒸気

機関車の一大牙城として残ったのである。

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