
僻地や過疎地のローカル私鉄がモータリゼーションの波に呑まれて廃線に追い込まれていった事情はある程度やむを得ないとしても、淡路交通や江若鉄道、南部縦貫鉄道のように将来的な発展の可能性を残しながら消滅した私鉄もあったのは残念なことである。筑波鉄道も学園都市という未来都市を結ぶ鉄道として生き残る余地はなかったのかと、今改めて感じる。その筑波鉄道は常磐線と水戸線との連絡並びに新治・筑波・真壁地区の交通の便を図る目的で1911年(明治44年)に軽便鉄道法による認可を受けたが、1918年(大正7年)の全線開業まで実に7年の歳月を要することとなった。土浦−岩瀬間40.1kmの路線でハード的には大した難工事もなかったが、むしろ人為的・政治的ないくつもの障壁を乗り越える必要があったのである。 |