このコーナーでは全国各地
に残っている鉄道に纏わる
民話や奇談・怪談を集めて
みました。
皆様がご存知の民話や奇談
・怪談がありましたら是非
このコーナーへの投稿を
お願いいたします。
−目次−
第12話 消える乗客
話は聞いたことがないと書いたら、最近、ある航空会社の客室乗務員の
方からメールで、飛行機でもたまに乗客は消える、というご教示をいただ
いた。
但し、消えるのは飛行中ではなく、搭乗時にチェック・インした乗客の数より
実際に搭乗している乗客の数が少ないというケースだそうで、その乗って
こない乗客のことを内輪で「幽霊」と呼ぶらしい。
●そういう場合、航空会社は地上職員を使って見つかるまで必死でその
乗客を探し求める。どうしても見つからない時は乗客と手荷物をいったん
飛行機から降ろして荷物の再検査をする場合もあるとのこと。
航空会社が恐れているのはテロ行為であり、テロリストが時限爆弾の
入った手荷物をチェックインして搭乗手続きを終えた後、自分はそのまま
姿をくらましたということが想定されるからである。(実際にそういう事件が
過去にあった。1985年(昭和60年) 6月23日、乗客329名を乗せたエア・
インディアのボーイング747-237B機が、大西洋のアイルランド付近で
手荷物に仕掛けられた爆騨テロによって墜落している)
本物の「幽霊」より怖い幽霊なのである。
●もう少しほのぼのとした「消える乗客の話」として、私は地元北小金駅構内
の跨線橋で乗客がすうっと消えてしまう話をご紹介したが、この話を掲載
した「JRのこわい話」(ワニマガジン社刊)が発行される25年も前に出され
た平野威馬雄氏著「お化けの住所録」(二見書房刊)という本では、「消える
乗客」の話が北小金より2駅上野寄りにある北松戸駅の話として記録され
ている。
●常磐線の北松戸駅は
戦後の公営ギャンブル・
ブームの波に乗って開設
された松戸競輪場の利用
客乗降用に設置された駅
であって、開設当時は
駅前も人家がまばらな
淋しい所だった。
従って終電車間際になる
とわずか数人の乗客が降りて跨線橋を渡り、暗い夜道を帰宅していく
ような感じであった。
ところが電車を降りたのが6人なのに改札口を通ったのが5人、というよう
なことが毎晩起こるようになり、必ず1人消える乗客ということで噂になった
のである。
この本の筆者は実際に北松戸駅の駅員からその話を聞き、更に近所の
土建屋の親爺の「跨線橋で自分の前をうつむき加減で歩いていた人が、
降りる段の角まで来たところですーっと消えてしまった」という目撃証言も
取り付けている。
●この話を核として北松戸駅の怪談話はより具体性を増していく。
駅からすぐ近くの畑地の中に住んでいるという鉄道弘済会(現在のキヨスク)
のおばさんは別の体験談を話し始める。
このところ毎晩、気味のわるいことばかりつづいていますので犬がいれば
大丈夫だと安心していたのです。ところが、ちょうど十日ほど前です・・・・・・
月がとってもよく照っていて、ひるのように明るい真夜中でした。
いつにもなく犬が狂ったように吠えたてますので、怪しい人影でも見たのか
とおもい、主人がネマキのまま外に出てみたら、犬がいきなり主人のネマキ
のすそにかみつき、ぐいぐいとえらい力で引っぱるのです。(中略)
犬は、主人のズボンのすそをくわえて、ぐいぐいとおもての方へと引っぱって
いくのでした。主人はなんのことだか、狐につままれたみたいな気持ちで、
とにかく犬のなすがままに、どこまでも引っぱられていきました・・・・・
いつの間にか北松戸駅の構内にはいっていました。
いつもは鼻をつままれてもわからないほどまっくらな、プラットホームの
はずれの水のみ場のところが、まぶしいくらい明るく、そこだけが、ひる間の
ようで・・・・・しかも、髪の毛のぼうぼうと長い、みすぼらしくやせておんぼろ
ジャンバーをきた男が、むしゃぶりつくように水のみの栓をひねって、蛇口に
口をおしつけているのが、手にとるように見えたのです。主人はハッとして
立ち止まりました。こんな真夜中に・・・・・へんなことがあるものだ・・・・・と、
犬がますます烈しく吠えますので、制しながらその方へそっと近よっていった
・・・・・とたん、パッと消えてしまったというのです。こんなことがそれから2度
ありました。
あとでのはなしに、その、幽霊みたいな男が、耳に赤えんぴつをさしていた
のがはっきり見えたというのです。
当時、競輪に負けて
すっからかんになった人が、
競輪場の便所や近くの山林
で何人も首を吊ったという話
があり、男が耳に赤えんぴつ
をさしていることから、その
男達の亡霊ではないか、と
いうことでこの話は結ばれて
いる。
惜しむらくはこの怪談が
「おばさんの聞いた話」で
あって直話ではないという点である。どうせ夫婦で駅の近くに住んでいるの
なら筆者は実際に目撃したご主人の方から話を聞くべきであった。
●昔の駅では電車を降りた客が必ずしも改札口を通って出ていくとは限らな
かった。現在のように西口だ南口だと、いくつも改札口があるわけでは
ないし、改札口のちょうど反対側に自宅がある人などはつい横着をして、
線路に降りて柵を越えて駅構内から出ていくというのは日常的に見られる
光景だったのではないか。おばさんの話の中にも、まさに「犬に引かれて
いく内にいつの間にか北松戸駅構内に入っていた」と語られている。
要するに駅の中と外との境界がそのくらいいい加減だったのだ。駅員に
したって乗客の中に横着者がいることくらいわかっているけれども、電車の
本数も今とは比較にならないくらい少なかったし、実害がなければいいと
見て見ぬふりをしていただけである。今でも田舎の駅に行けばこういう情景
はいくらでも見ることができるはずだ。
改札口を通らず柵を越えていく人も、多少は後ろめたい気持ちがあるから、
あまり人に気づかれないようにすうっと消えていく。よく会社での退屈な
会議などでも、本当に誰も気がつかないうちに魔術師のように忽然と消えて
しまう人がいるではないか。
この話の面白さはむしろ公営ギャンブルが地元にもたらした「光と影」と
いう社会背景の方にある。
●話はそれるが北松戸駅といい北小金駅といい常磐線には怪談が多い。
有名なものとして深夜に三河島駅を通過する電車の運転手が、構内に
散乱する無数の礫死体を目撃したというのがある。これは前出の「JRの
こわい話」や「お化けの住所録」の他にも色々な雑誌や怪談の本に登場
するから一般的に知られているのだろう。もっとも出典は同じかもしれない。
この話は1962年(昭和37年) 5月3日に発生し、死者160名、重軽傷者325名
を出した三河島事故との因縁である。
●北千住−綾瀬間では、雨の日に黒いコートを着た男が線路を徘徊していて
通りかかった列車がこれを轢いてしまったと思いきや、男はまたふらふらと
歩き出し、やがて霧のように消えてしまうという話が「JRのこわい話」に
掲載されている。
この黒いコートの男とは
ご説明するまでもなく、
1949年(昭和24年) 7月5日
の朝、日本橋の三越で消息
を絶ち、翌6日早朝に北千住
−綾瀬間のちょうど東武
鉄道と交差するガード下
付近にて礫死体で発見
された下山国鉄総裁の
ことを指している。
有名な下山事件である。
下山事件にはその死因(生前轢断か死後轢断か)、動機(自殺か他殺か)
犯人(GHQ説他)他、謎が多い。
下山総裁を轢断した田端駅発下り第869貨物列車の機関車は水戸機関区
所属のD51 651号機だった。651は語呂合わせで「むごい」と読める。
この列車はなぜか田端を8分遅れて発車したが、事情を知る機関士は事件
から1年後に急死している。
綾瀬駅構内の線路脇から誰が落としたのか、田端機関区の構内配線図が
発見された。また日暮里駅の男子便所の壁に「5・19下山缶」という文字が
書かれているのが発見された。
事件直前には常磐線の事件現場付近をふらふらと歩いていく紳士の姿が
何人もの人に目撃されている。
下山事件の真相はすべて闇のベールの中に包まれてしまい、怪談話だけ
が脈々と語り継がれていく。
●この他、常磐線では牛久駅や土浦駅でも上半身だけの幽霊が線路を
這っていたり、無数の白い人影が線路脇を歩いていたりと、様々な怪談が
語り伝えられている。
これも実は太平洋戦争中の土浦駅で、今でもほとんど知られていない大事故
が起こっているのである。
1943年(昭和18年)
10月26日
の夕方、土浦駅に到着した
上り第294貨物列車が
引上線に入ろうとしたところ、
駅のポイント操作ミスにより
上り本線上に飛び出してしまった。
そこへ全速力で通過しようとしてきた後続の第254貨物列車が突っ込んで
脱線転覆、更に下り第241旅客列車がこれに突っ込んで、満員の乗客を
乗せた客車3輌が転覆、1輌は駅手前を横切る桜川に転落した。
この3重衝突事故で乗客乗員110名が死亡するという大惨事になったの
だが、戦争中ということで当局はひた隠しに隠したためか、土浦事故のこと
は当時はもちろん、戦後でもあまり知られていない。
こうしてみると知られざる事故や未解決の事件があるところには必ず怪談
話が残るという因果関係が成立する。
●横道が長くなったが、話を消える乗客に戻そう。
消える乗客は大抵1人というのが相場だが、世界に誇る東海道新幹線では
何十人もの乗客がいっぺんに消えてしまうというダイナミックな怪談が、
前出の「JRのこわい話」と「お化けの住所録」とにそれぞれ別の話として
登場している。
列車はいずれも上りの「ひかり」、場所は前者が静岡駅付近で、後者は
富士−三島間(新幹線に富士という駅はないが)となっており、いずれに
せよ名古屋−東京間、当時のひかりノンストップ区間での出来事である。
ふたつの話に共通しているのは列車ががら空き状態で、乗客のひとりが
席を立って別の車輌を通った際に(前者は電話をかけるため、後者は
食堂車に行くため)今まで空いていると思っていた車輌が満員の乗客で
埋まっており、はて妙だなと思いながらくだんの車輌に引き返してみたら
そこには誰も乗っていなかった、という話。
●大人気ないといわれるかもしれないが、これらの話についてはもし創作で
ないとすれば、私は単純な「錯覚」として片付けたい。5、6輌ならともかく
12輌も16輌も連結している列車の1輌1輌の車内の様子をいちいち覚え
ているはずはなく、よほどのマニアでもなければ各車輌の特徴を知っている
わけでもない。
この点にについては戦前の探偵小説作家である海野一三氏が「急行列車
の花嫁」という作品の中で、最後尾に乗っている乗客(実は全員が犯人
グループ)と手荷物をそっくりそのまま手前の車輌に移動させて主人公を
攪乱するというトリックを用いている。以下その引用。
そんなカラクリがあったればこそ、客車が消えたりまた現れたりしたのだった。
それはかくべつむずかしいことではなかった。それは必要に応じ、客車をその
ままとし、ただ乗客と荷物とだけ、二両目のものと後尾のものとを大急ぎで
引っ越しさせればよかった。人間の目はうっかりしているから、全体の客の顔
と荷物とが前のとおりの順序で並んでいると、客車が変わっていても気がつか
ない。なにしろ客車というものは、双生児を並べたよりもっとよくにているもの
だったから。
この探偵小説の方が「列車」というものの特性を的確につかんでいると思う。
●「お化けの住所録」の方では「ひかり」の車掌もこの団体幽霊の存在を
認めていることになっていて、話の信憑性を深めようとしているのだが、
これは少し言い過ぎであろう。
鉄道会社は乗客を運ぶのが商売であり、車掌はそのプロフェッショナルで
ある。余程車内が超満員か二日酔いで乗務していたならともかく、通常の
状態であれば、プロである彼等にとってはどの車輌に何人の乗客が乗って
いるかは極めて正確に頭にたたき込まれているのであって、突然幽霊の
団体が乗り込んできたり消えたりするのを「幽霊かもしれないね」ですませる
わけがないのである。また仮に本当に幽霊を見たとしても、そんな話を
うっかりと同僚や上司にしようものなら、「おめえ、酔っ払ってたんじゃねえ
のか」とあらぬ疑いをかけられかねないので(飲酒乗務は懲戒対象である)、
軽はずみに他人に話したりはしない。
●「JRのこわい話」では東海道新幹線がいくつかの墓地を移転させて建設
されたため、そこで眠っていた霊達が恨みに思って出てきたのでないか、
と締めくくられているが、東海道新幹線が墓地の上を通過しているのは
事実である。むしろ墓地の上を選んで通過していると言ってもよい。
用地買収を行う際に、やはり既存の民家を立ち退かせるよりも墓地を買収
する方がすんなりと交渉がまとまりやすいからである。同じことは東名高速
道路についてもいえる。
ついでにいえば「学校の怪談」などで、小学校が建設される以前、ここは
墓地だった、ということようなことがよく語られるが、これも同様の理由で
あり得る話である。
まあ、墓地を追われた霊達が恨みのために出てきたと考えるよりも、私と
しては、今度自分達の上を通過することになった新幹線とはどんなものか
ちょっと見てみよう、乗ってみようと好奇心旺盛な霊達が連れ立って、空の
新幹線車中で大宴会を開いていたと、ポジティブに解釈したいと思う。
●このように人数が実際
よりも少ない、あるいは
多いという話は「員数過
不足の怪談」といって
怪談の中でも最もポピュラー
なもののひとつである。
友人同志3人と喫茶店にはいる。
するとウェイトレスが水を4つ持ってきた。
「あれ、最後に入られたお客様はどちらに?」
という例のやつが員数過剰の怪談の代表例である。
員数不足よりも員数過剰の方がどちらかというと恐怖感が大きい。
この種の怪談話は登山家達の間でよく語られる。
10人のパーティーの先頭を歩いているメンバーが、全員ちゃんとついて
来ているかどうか時々後ろを振り返って確認する。大丈夫、ちゃんと10人
いる。えっ?10人? もう一度振り返って順番にひとりひとりの名前を頭の
中で呼びながら数え直す。じゃ、一番後ろのあいつは誰なんだ?
●やはり登山家達の間で大変流行した、私個人としては最も恐ろしいと感じて
いる怪談があるので最後にその話をご紹介したい。
ある年の冬、5人のメンバーで構成されるパーティーが信州の雪山に登った。
5人の名前を仮に甲・乙・丙・丁・戊としておこう。
このパーティーは道中で猛吹雪に遭い、道を見失ったまま山中をさまよい、
そうこうしている内にメンバーの1人の戊が凍死してしまった。
残ったメンバーはやむなく戊を置き去りにして再び山中をさまよったあげく、
幸運にも小さな山小屋を発見し、ここで一夜を明かすことにした。
●しかし山小屋には灯りも
暖房もなく、夜になると急
に気温も下がってきたため、
このままでは眠りに落ちた
まま全員凍死してしまう、
と危惧したリーダーはある
方法を思いついた。
すなわち4人のメンバーが
下図のように山小屋の
四隅に腰掛け、まず甲が
乙のところへ行って肩を叩く、
肩を叩かれた乙は丙のところへ行って同じように肩を叩く、丙はまた丁の
ところへ行って、という具合に真っ暗闇の中を一晩中ぐるぐる廻ることに
よって眠るのを防ぐのである。
そしてこのリーダーの機転によって4人のメンバーは凍死することなく、
翌朝駆けつけた捜索隊によって無事救助された。めでたしめでたしという話。
●この話のどこが怪談なのか? もう一度下の図をよくご覧いただきたい。
まずAコーナーにいた甲がBコーナーにいる乙の肩を叩く、するとBコーナー
の乙はCコーナーへ行って丙の肩を叩き、Cコーナーの丙はDコーナーの
丁の肩を叩く。
この後が問題でDコーナーの丁がAコーナーに行った時、甲はすでに
Bコーナーに移動しているはずだから、そこに丁が叩くべき肩は存在しない
はずなのである。丁は誰の肩を叩いたのか?
そしてBコーナーに移動している甲は一体誰から肩を叩かれたのか?

ここで吹雪の山中で置き去りにしてきた戊の存在が、物語の伏線として生き
てくるわけである。
●灯りのない真っ暗な部屋の中で4人がぐるぐると廻ると幽霊が出てくると
いう言い伝えは、実は江戸末期からあり、この怪談はその伝承を起源として
いるものと思われる。
左回りにぐるぐる廻るという行為には何か霊的な意味があるという説もある。
そういわれてみれば、葬儀での出棺の際に棺桶を左回りに廻すのを想い出
される方もいよう。チベット仏教のマニ車も左に回してお祈りをする。
長野の善光寺では瑠璃壇の下の回廊をまわる「戒壇めぐり」も左回りに
廻るし、子供の遊技である「かごめかごめ」も輪を作って左回りする。
ちなみに「かごめかごめ」の語意は一説によると(柳田国男説)「屈め屈め」
であり、円の中央で屈ませられる子供は「小仏」ないしは「地蔵」を意味する。
この遊びは太古の口寄せ、すなわち降霊の儀式に起源を発するというので
ある。
鉄道で左回りにぐるぐる廻るといえば、東京山手線と大阪環状線の内回り
を連想するが、これは霊的な意味とは無関係であろう。多分。
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