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このコーナーでは全国各地
に残っている鉄道に纏わる
民話や奇談・怪談を集めて
みました。
皆様がご存知の民話や奇談
・怪談がありましたら是非
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−目次−

第6話 「碓氷峠の幽霊娘」後日譚

第7話 とむらい機関車


第6話 「碓氷峠の幽霊娘」後日譚


●以前このコーナーの第3話

 として、「碓氷峠の幽霊娘」

 の話をご紹介したが、最近、

 インターネットを通じて知己

 になった友人より、この話の

 続編ともいえる怪談が書か

 れた書物の存在を教えて頂いた。 

 西本裕隆氏・所澤秀樹氏共著による「JRのこわい話」(ワニマガジン社刊)

 いう本の中に前出の「碓氷峠の幽霊娘」と出所が同じだと思われる話が

 掲載されている。

かつて、この碓氷峠を深夜の2時すぎに通過する夜行列車がありました。

その夜行列車の最後部車輌に乗務していた車掌のひとりが、横川駅までは

だれも乗っていなかったはずなのに、横川駅を出て峠にさしかかるときには、

若い女が乗っているという椿事に何度も遭遇しました。

●1950年(昭和25年)の時刻表によれば、信越本線の下り夜行列車は3本

 運転されていた。高崎駅を午前0時16分に発車する直江津行き準急

 第307列車、1時43分発の同じく直江津行き第327列車と、3時00分発

 米原行き第611列車である。

 前出の「碓氷峠の幽霊娘」では、高崎発が2時半過ぎと書いてあり、

 「信越線の列車」と明記されていることから恐らく最後の第611列車であると

 思われる。これの碓氷峠通過は午前4時半頃になる。

●一方、上記の書物には碓氷峠通過が2時過ぎだと書かれているので、

 必然的に最初の準急第307列車ということになる。2つの書物で、幽霊が

 乗った列車は異なっているのである。ちなみに準急第307列車は、始発駅

 の上野を22時50分に発車し、横川は1時35分発車、軽井沢2時35分着

 で、終着駅の直江津には朝7時28分に到着する。

 尚、この準急列車は、後に急行に格上げされて寝台列車の「妙高」となった。

 私は奇しくも急行「妙高」時代にこの列車の最後尾車輌に乗車したことが

 ある。その時の最後尾車は近代化改装後のオハフ33形だった。

その女の人はいつも進行方向を向いて座っていました。ですから、車掌が

乗務している位置からは顔は見えません。

ところが、峠を登りきり、次の軽井沢駅に着くころになると、その女性の姿は

見えなくなってしまっているのです。

しかし、だれも、その女性の顔を見たことがないのです。

●民話や怪談というものは、

 人から人へ語り継がれて

 いく間に段々内容に関する

 矛盾点が修正され、より

 洗練されていく。

 「碓氷峠の幽霊娘」で私は

 和服女性の後ろ姿から

 年齢を推定するのは難しい

 と書いたが、この話が最初

 に1957年(昭和32年)のサン新聞に

 掲載されてから40年の間に

 同じ疑問を感じた人がいた

 とみえ、そのあたりの矛盾点

 が解消されているのだ。

 ただこの話は更に発展して、車掌が実際に若い女の顔を見に行くことに

 なってしまう。

彼は、驚きのあまり声を失い、腰をぬかさんばかりになってしいました。

なんとその女性には表情がないばかりか、顔に何もないのです。だれもが

その女性の顔を見たことがないはずです。つまり顔の無い女性がそこに

すわっていたのです。

●ここまで話を発展させてしまうのは、明らかに行き過ぎだ。

 車掌が実際に「のっぺらぼう」を見たということで、この怪談は急に現実味

 を失ってしまう。車掌はその「のっぺらぼう」の乗客に対してその後どういう

 措置を取ったのだろうか、などと聞き手に余計な疑問を抱かせてしまうから

 である。

 もともと怪談に現実味なんて関係ないだろう、と言われそうだが、怪談が

 怖いか怖くないかは、ひとえに現実味の有無にかかってくるのである。

 あまりに怖がらせよう、怖がらせようと演出がきき過ぎると、かえって怖さ

 がすっぽ抜けてしまう。

●話はそれるが、私は海外で「碓氷峠の幽霊娘」の話と非常によく似た状況

 に出くわしたことがある。

 10数年前に仕事でビルマ(現国名ミャンマー)に駐在していた頃の話。

 私はしばしば出張でラングーン発マンダレー行きの夜行列車に乗車したが、

 列車が終着駅のマンダレー駅に到着する直前になると、それまで満員

 だった乗客が少しずつ消え始め、ついには半分くらいの乗客が忽然といなく

 なってしまうのである。

●姿を消した乗客はラングーンからマンダレーへ様々な物資を運ぶヤミ商人

 達だった。(若い女性も多かった) で、彼等彼女等は切符を持っていない。

 それに駅の改札口では警察による闇物資の検閲が行われており、2重の

 意味で改札口を通るわけにはいかないから、列車が終着駅のホームに

 到着する前に、客車のデッキからぴょんぴょんと飛び降りていく。

 機関士も彼等彼女等のお友達だから駅のホームに近づくと列車は妙に

 スピードを落とし、しばらく徐行する。

 その間にヤミ商人達は列車から飛び降りて、線路脇の柵を越え、何処へ

 ともなく消えていくのである。もちろん車掌もみんなお友達だ。

●この体験談が「碓氷峠の幽霊娘」と何らかの関係がある、などと野暮な

 ことを私は言うつもりはない。ただこの話と前出ののっぺらぼうの若い娘

 とは、ひとつだけ妙に符合する点がある。

 ヤミ商人に「顔」があってはならないのである。


第7話 とむらい機関車


●戦前の探偵小説作家のひとりに大阪圭吉という人がいた。

 今ではもうかなりの探偵小説マニアの方でないと名前が浮かんでこないと

 思うが、「きちがい機関車」や「とむらい機関車」など鉄道を題材にした作品

 がいくつかある。

「とむらい機関車」は大阪圭吉氏の代表作のひとつで、H市に向かう列車

 の中で出会ったひとりの老人から、H機関庫に所属するある蒸気機関車に

 纏わる因縁についての話を聞くところから始まっている。

 老人の話によると、その機関車はD50 444号機といって大正XX年に

 川崎で製造されたカマだが、直ちに東海道本線の貨物列車用として就任

 して以来、実に二十数件の轢殺事故を惹起して不名誉な記録保持者として

 H機関庫にいるという。

 そしてその轢殺事故のたびごとに必ず乗務していた不幸な二人の乗務員

 がいて、この物語はその機関士を中心に展開していく。

●大阪圭吉氏は自身が鉄道愛好家であったか、あるいはよほど詳しく鉄道

 について下調べをしたか、D50形機関車に対する描写は非常に的確だ。

「−話、と言うのは数年前に遡りますが、私の勤めていたH駅のあの扇形を

した機関庫に・・・・あれは普通にラウンド・ハウスと呼ばれていますが・・・・

其処に、大勢の掛員達から「葬式機関車」と呼ばれている、黒々と煤けた、

古い大きな姿態の機関車があります。

形式、番号は、D50 444号で、碾臼のように頑固で逞しい四対の聯結

主動輪の上に、まるで妊婦のオナカみたいに太った鑵を乗けその又上に

茶釜のような煙突や、福助頭の様な蒸気貯蔵鑵を頂いた、堂々たる貨物

列車用の炭水車付機関車なんです」 

 但し、D50 444号機という機関車は実在しない。D50形蒸気機関車は、

 1923年(大正12年)に当時は9900形としてデビューし、1931年(昭和6年)の

 D50 380号機を最後に生産を打切られている。

 444号機というのは多分、物語の奇怪な雰囲気を高めるために「死・死・死」

 をもじったものだろう。

●D50形は川崎造船所の他、汽車製造、日立製作所、日本車輌の4社で

 製造されているが、444号機がわざわざ「川崎」製であると固有名詞まで

 出しているのは、D50形の半数以上を占める198輌が川崎造船製である

 ことと、同社の記念すべき生産1000輌目がD50形(9912号機)であったこと

 などから、D50形といえば「川崎」というイメージが強かったからではないか

 と想像する。

 尚、このD50 444号機の物語には、モデルとなった実在の機関車がある

 という話を大昔に聞いた覚えがあるのだが、残念ながら具体的に何号機

 だったかは失念してしまった。

●「とむらい機関車」の物語は、その後、D50 444号機にたて続けに発生

 する轢殺事故が、実は豚を轢いたものである、という奇想天外な話に発展し、

 最後は悲恋の結末を迎えるという、探偵小説の中でも異色のストーリーで、

 今日でも立派に通用する秀作であると思うが、大阪圭吉氏自身は、終戦

 直前の1945年(昭和20年)にルソン島にて戦死されてしまった。

●ところでこの作品のモチーフとなっている、特定の車輌や乗務員に事故が

 集中するというジンクスは、私もしょっちゅう鉄道関係者から耳にする。

 知人で、埼玉県のある地方私鉄を退職された元電車運転士の方は、たて

 続けに3回の投身自殺に遭遇したことがあるそうである。

 首都圏の電車ならともかく、地方私鉄でたて続けに3回同じ運転士という

 のはすさまじい集中度であろう。

 最近はよく投身自殺の偏発性という話題を聞く。なぜか首都圏では中央線

 に集中する、というのである。ある本に中央線駅の発車オルゴールの音色

 がよくないのではないかと書かれてあった。

 着眼点は面白いと思うが、それでは昔、発車合図がただのベルだった時代

 は少なかったかというと、データがないのではっきりとは言えないが、そんな

 こともなかったような気がする。

 基本的には中央線の利用密度、沿線の人口集中度の関係だろう。

 私自信も1度だけやはり中央線で遭遇したとがあるが、まだ普通の発車

 ベルだった時代である。

●私が勤務する会社の

 サイコセラピストの先生

 は、中央線の電車の

 塗色に問題があるのでは

 ないか、とおっしゃっていた。

 オレンジという色は、意外

 にも人の心を憂鬱にさせる

 逆効果を持つのだそうだ。

 色が人の心理に大きな影響を

 与えるであろうことは容易に

 納得できる。白一色というのも

 よくないらしい。

 逆に人の心を安らげる色は、淡いブルーやグリーンの中間色だそうで、

 基本的に原色系は避けた方が無難とのこと。

 そう言われると戦後の国鉄時代の電車や客車は、やたら原色系が多かった

 のがちょっと気になる。

●余談になるが、前出のたて続けに3回の轢殺事故に遭遇された元運転手

 さんは、これ以上の不運はないわけで、その当時はよほど精神的に参って

 しまったでしょう、とご同情申し上げたところ、本人は意外とけろっとして

 おられて、

 「いやね、最初の時はその瞬間に気が動転して、頭が真っ白になってしまって、

 自分がどうやって電車を止めて、その後どういう措置をとったか、まったく

 憶えておらんのです。

 しかし2回目の時はもう落ち着いて電車止めて、必要な措置をとって警察の

 事情聴取を受けるまでのことを、ちゃんと全部憶えているんですな。

 で、3回目の時はね、ちょうどその日は勤務が終わったら家で野球中継を

 見るのを楽しみにしとったんだが、その瞬間とっさに思ったことはね、

 『ああ、これで今日はナイター見れなくなっちゃったな』って、それだけだった

 んですよ」

 人間どんな凄惨な場面に直面したとしても、度重なってしまうと、それすら

 段々慣れてきてしまうものらしい。

 もし鉄道自殺を考えたとして、自分の轢殺死体の上で、運転士さんが

 ナイターを見れなくなってがっかりしている図を想像したならば、自殺を

 願望する人の少なくとも半数くらいは思いとどまってくれるかもしれぬ。 

 大阪圭吉氏著の「とむらい機関車」は、創元推理文庫刊「日本探偵

 小説全集12 名作集2」の中に収録されています。


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