大阪市電1601形

1959.4. 大阪駅前 Photo by: T. Satomi

明渡康浩さん推薦

 

(明渡康浩さん)

 名機・名車100撰ということですが、大阪市電1601型はいかがで

 しょう?

 大阪市電1601型は昭和3年に100両が登場、大型半鋼製の車体に

 ウイングバネを用いた独特の「大阪市電型台車」をはき、乗り心地の

 よさは戦後の新車3001型にも匹敵するといわれたそうです。

 戦災で半数以上がやられて45両しか復活しなかったのですが、昭和

 40年頃までの長きにわたって大阪市民に親しまれ、廃車後は一部が

 広島電鉄と南海電鉄(今は阪堺電軌)に譲渡されてそこでも活躍

 (阪堺では今でも活躍中)しました。

 大阪市電の戦後の新車として有名な3001型は、その高性能さが

 災いしたのか廃車後は鹿児島市電へわずか4両が転属したのに対し

 て、1601型は譲渡先でも長く活躍したことからも1601型が名車と

 考えてもよいのではないかと思います。

(中島忠夫さん)

 大阪市電1600は象徴的ですね。台車が良すぎて吊革が網棚に当た

 ってすごい賑やかでええ電車です。今里所属でわたしの乗る四ツ橋線

 は少なかった。

 思いだしました。当時市電は6銭で、地下鉄は13銭。祖父にえらい叱ら

 れた。地下鉄に乗ったために。いま携帯電話でみんな簡単に電話して

 るけど商売にならん電話は商売人には禁じられてた。そやよってに

 いまだに電話は簡単にはかけません。これが大阪人です。
  

大阪市電1601形については明渡さんより詳しい説明をいただいております

ので、若干の補足にとどめたいと思いますが、同車は1928年(昭和3年)に

藤永田造船所で75輌、梅鉢鉄工所で25輌が製造され、大阪市電の主力

車輌となりました。

全長1,371mm、自重16.3t、乗客定員90名、50PS級電動機2個を装備し、

当時の大阪市電で最大・最強の市街電車となりました。

しかし主力車輌であったからこそ、最前線で戦う者の常として太平洋戦争

時の空襲によって実に半数以上の56輌が焼失してしまいました。

残った44輌と戦災復旧した1輌を加えた45輌が、焦土と化した大阪市内を

走り始め、1967年(昭和42年)に全車引退するまで40年間にわたって浪速の

都で活躍したわけです。

大阪は東京と同じように市バスや地下鉄の発達が早く、1601形が登場した

昭和初期には早くも利用客数・営業収入共に減少し始め、当局内部からも

「市電不要論」が飛び出す状況でした。しかしその後の太平洋戦争と戦後の

荒廃期において大阪市民の足として抜群の働きをしたのが市電であり、

「有事に強い電車」を証明した形となりました。(里見)

1959.4. 肥後橋 Photo by: T. Satomi