和歌山鉄道クハ803

1959.3. 伊太祁曽車庫 Photo by: T. Satomi

和歌山市内を走っていた和歌山軌道線の名前を知る人も少なくなってきたが、

和歌山鉄道となると更に知名度は低いだろう。現在の南海電鉄貴志川線だと

説明すれば多くの人が納得する。

和歌山鉄道の歴史は古く、1916年(大正5年)に和歌山市内から伊太祁曽まで

開通、1931年(昭和6年)に貴志まで路線を延ばした。当初は非電化で蒸気

機関車やガソリンカーが走っていたが、太平洋戦争中のガソリン不足のため

順次電化工事を進めてゆき、1943年(昭和18年)に全線の電化を完了した。

戦争が否応なく電化を進めたわけで、当時はこうした例が非常に多い。

その後この鉄道にどういうことが起こったかというと、電化したからといって

新しい電車を購入するゆとりはないから既存のガソリンカーを強引に電車に

改造したり、大手私鉄からガラクタ同然の電車を買い集めたりしたため、

和歌山鉄道は怪しい車輌の宝庫、というより全車輌が怪しくなった。

上のクハ803もそういう車輌のひとつ。もともとは1936年(昭和11年)加藤車輌

製の片上鉄道キハニ120で、これを1955年(昭和30年)に譲り受けナニワ工機

にて電車制御車化したものである。

ガソリンカーには珍しく半流線形3枚窓のフロントマスクが洒落ていたが、

その前後を荷物置き場としたので何のための半流だかわからなくなった。

ガソリンカー時代の菱形棒枠台車をはき、ポールをたてて「それがし、

これでも電車でござる」と肩で紀州路の風を切りながら走った。

和歌山鉄道は1957年(昭和32年)に和歌山電気軌道に合併され、更に1961年

(昭和36年)に南海電鉄に合併されて消滅したが、クハ803は1969年(昭和44年)

頃までしぶとく生きていた。敬服すべき見事な生涯である。