キサハ04形

1957.8. 境港駅 Photo by: Tadao Nakajima

中島忠夫さん推薦

(写真提供:中島忠夫さん この写真は転載禁止です)

中島さんからお送りいただいた上の写真は一見、何の変哲もないキハ41000

系列の車輌に見えますが、実は非常に珍しいもの。キハ41000形より車体

が短いのがヒントです。

キハ41000形(当初形式はキハ39600形)は鉄道省初の本格的な気動車

として1933年(昭和8年)に登場して以来、計137輌が製造されて一世を風靡

しましたが、この成功に気をよくした鉄道省はキハ41000を単行で運行する

のではもったいないので、これに貨車を牽かせようと計画しました。

動力付の気動車に付随車1輌を牽引させるアイデアはかなり早くからありま

したが、当時の国産ガソリンエンジンの定格出力はGMH13型の100PSが

精一杯であり、キハ41000形の場合で最高速度45km/h、10‰勾配では

17km/hまで落ちてしまい、これでは実用にならないと判断されました。

しかし動力付気動車の方の重量をもう少し下げれば貨車1輌くらいは牽ける

だろうということで、キハ41000形の全長を思い切って4m短く11,500mmに

切りつめ、乗客定員も109名から75名に減らすことによって総重量の低減を

はかり、15t積みの有蓋貨車1輌を牽引できるようにしたのがキハ40000形

で、1934年(昭和9年)に川崎車輌と日本車輌で15輌ずつ30輌が製造されま

した。

同車は粘着牽引力を向上するために2軸駆動とする等の工夫がこらされ、

全国の地方線区へ分散配置されていきました。しかしもともとの設計値以下

の条件で使用されるならば特に問題はなかったわけですが、えてしてこういう

便利な車輌ができたなら、と現場では酷使されるのが世にありがちな現象で、

ひどい例になると磐越西線では17m級客車を牽引させられることもあった

ようで、たちまち消耗していきました。「便利屋」タイプの人は周囲から重宝

がられ、いいように使われたあげくポイ捨てされるという例であります。

結局、30輌の内、15輌は1937年(昭和12年)から中国大陸に供出され、残った

半数も戦後は休車状態になっていましたが、その内の何輌かが1950年

(昭和25年)にエンジンを降ろしてキサハ04形となり、米子地区などで細々と

働いていました。便利屋キハ40000形の末路は自ら動力を持たぬ寂しい

付随車暮らしでした。(里見)