阪神電鉄881形

1963.7. 尼崎車庫 Photo by: T. Satomi

中島忠夫さん推薦

大阪人は総じてサービス精神が旺盛で、時にそれは単なるおせっかいで

あったり的はずれに終わることもありますが、そのサービス精神は戦前に

おける関西大手私鉄の車輌にも遺憾なく発揮されていました。

例えば阪神電鉄はその快足ぶりを誇る一方で車輌のデザインにも独特の

趣向を凝らしています。1936年(昭和11年)には幕板にスリガラスの入った

明かり窓を設け、貫通扉のガラスを下まで延長した折戸(その形状から

「喫茶店」と呼ばれた)を採用した15m級電車851形7輌を登場させて大阪

の人々を魅了しました。この851形は翌1937年(昭和12年)に861形として

17輌が増備されています。

さて1930年代後半になると阪神地区の沿線人口の激増に伴って阪神電車

の利用客も増加の一途をたどったため、阪神電鉄では1939年(昭和14年)に

更に30輌の増備を計画しました。しかしこの頃になると日本全体が日中戦争

の拡大と太平洋戦争準備による物資不足に悩まされ始め、増備車30輌の

新製は思うように進まず、1942年(昭和17年)になってようやく881形として

20輌が出揃い、阪神間の特急電車として運行を開始しています。

世の中は乗客サービスに重点を置く時代から、すでに臨戦体体制下の実用

重視の時代へと変わり、881形は基本的に861形と同仕様・同寸法ながら

前任車の大きな特徴であった幕板の明かり窓は灯火管制上の理由で廃止

され、乗降扉も戦時輸送に対応して1,100mmから1,220mmへと拡幅されています。

「喫茶店」のような折戸式貫通扉だけはかろうじて残されたのがせめてもの

救いでした。

結局、881形は阪神電鉄最後の15m級小型車となり、優雅な「喫茶店」も

これをもって閉店したわけであります。

同車は全長14,700mm、自重22.1t、乗客定員94名(内、座席38名)、台車は

川崎車輌製ボールドウィン・タイプの78-25AA型をはいています。(里見)