


大平洋戦争直後で私鉄車輌が極端に不足した時期に、運輸省は窮余の策として国鉄設計のモハ63形を大手私鉄に割り当てたのは有名な話。東武鉄道、小田急電鉄、名古屋鉄道、南海電鉄、山陽電鉄に100輌以上のロクサンが乗り込んでいったが、当時の各鉄道会社の状況を全く無視した措置であり、多くの会社でその取扱に難儀した。名鉄では結局使い物にならず東武へ再放出せざるを得なくなった。賢明な西武鉄道は20m車の63形を長過ぎるということで辞退し、替わりに戦災で放置された17m級国電を大量に譲り受けて復旧・再利用することに専念したのである。その西武が戦後11年も経過した1956年(昭和31年)に完全なモハ63形のコピーをわざわざ新製しモハ401としたのは民有鉄道界におけるちょっとした奇談である。もちろん奇談の背景には色々と裏事情があって、1953年(昭和28年)から1954年(昭和29年)にかけて国鉄で事故廃車となったモハ63系の電動車1輌と制御車2輌を譲り受けて再生利用する際に不足する電動車1輌を補充したものなのだが、「なにを今さら」との印象は拭いきれない。尚、モハ401・402は梅鉢鉄工所製のTR25型台車にベローズを装着した実験的なエアサス台車をはいていた。足下もなかなかの曲者である。 |