



中高年層にとって「ロクサン」という言葉は、桜木町事件で焼死者106人を出す原因のひとつとなった「恐怖の三段窓」のモハ63形を意味し、苦渋に満ちた響きを感じ取る。戦時設計の粗製濫造の代表例として悪名高いモハ63形ではあるが、徹底的な合理化思想は後世の新製能電車の模範となった部分もあり、またMT40型主電動機やPS13型パンタグラフ等の装備類も、70系・80系・101系へと引き継がれていく。太平洋戦争直後で各私鉄が極端な鉄道車両不足にあえいだ時期に、運輸省は大手私鉄の中小型車両を地方私鉄に譲渡させ、その不足分として国鉄形のモハ63形を大手私鉄に供給することを決め、東武・小田急・相鉄・名鉄・南海・山陽の各線が候補となった。しかし私鉄各社の実情を無視したこの施策は、例えば小田急では線路や駅施設の大改修を余儀なくされたり、名鉄では急カーブが曲がれない等、ちょっとお粗末な問題を多発させることとなり、役所のナンセンスな押し付けの典型として語られることが多い。もっとも当時の記録を見る限り、モハ63形を受け入れた各社が、内部で検討・議論したり積極的に反対したりした形跡はなく、官民の関係はいつの時代も微妙である。東武鉄道の場合も大量40両の割り当てを受けたものの、同社初の20m級車は浅草橋駅構内の急カーブが曲がれず、入線当初は業平橋駅発着になるなどの混乱はあったが、粉骨砕身問題点を解決し、1948年(昭和23年)には更に名鉄が返品した20両の内14両を引き取っている。モハ63形にちなんで6300形を呼称54両は、桜木町事件を契機に側面窓の二段化工事を実施、後に国鉄と同様7300形に改称。更に1959年(昭和34年)から1964年(昭和39年)にかけて、製造品質の悪い車体を廃棄して7800系と同デザインの車体への載せ変え工事を実施、オリジナル車とは全く異なる外観になっている。上の2枚の写真は、車体更新前のモハ7319、下は更新後のモハ7326。当時の春日部駅のホームに立てば、どちらの7300形も拝むことができたわけ。 |