



企業でもお店でも人物でも、成功したかどうかというのは色々な切り口や見方があって、一言で言い表すのは難しいのだが、「後継者」がいたかどうかというのはひとつの物差しとなり得る。キハ35系の場合は、3扉通勤用気動車という同じコンセプトを持った後継車が現れなかったという点で、成功車とはいえなかったかもしれない。元々設計には無理があった。パワートレインは定格主力180PSのDMH17型エンジンを採用し、かつ通勤型であるので車体中央にも乗降扉を設置するのが前提条件となるが、地方路線での使用を想定してステップ付とすると床下の有効面積が狭まるため、2基エンジン搭載車は断念せざるを得ない。また側梁(サイドフレーム)が中央扉ステップで分断されるため、そのための補強が必要となり、それは車体重量増につながる。一方で通勤用なのだから乗客定員が多く(約130名)荷重を大きくとりたい。そうするとパワー・ウエイト・レシオ(馬力当重量比)はどんどん大きくなるので、思い切った軽量化が必要となり、車体強度に問題が生じる。ということで、キハ35系の場合はパワートレインと乗降扉数が決定されてしまうことで、設計が閉塞的な、負の堂々巡りを始めるのであった。そもそも「通勤用気動車」とは何だったのか。通勤用車輌が必要になるほど輸送需要が大きいなら、早く電化を推進する方が先だろう。電化やホームのかさ上げ工事を差し置いて、取り急ぎ車輌設計にそのツケを回したところにキハ35系の悲劇があった。通勤用気動車の投入が急務とされていたのは、首都圏の千葉地区と近畿の関西線湊町口だったが、それらの地区は投入から約10年後の昭和40年代後半に相次いで電化されていった。その時点でキハ35系は実質的に「通勤用気動車」としての使命を終え、再就職先の地方路線ではキハ17系・20系・45系・55系等と混結運転が多く見られるようになっていく。偶然かもしれないが、私の印象では、とりわけキハ35系はキハ17系とのコンビが多かったような気がする。車体断面が狭くて居住性が悪いキハ17系と、オールロングシートで車窓が楽しめないキハ35系と、どちらに乗ろうかと迷うことしきり。 |