

かなり以前の大画像で、2扉クロスシート車で片運転台式のモハ43形から4扉ロングシート車に改造されたクモハ31形をご紹介したが、上の写真は両運転台式のモハ42形から改造されたクモハ32形である。やはり太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に輸送量増強の目的で、13輌の内10輌が4扉化、残り3輌が3扉化されることになったものの、実際には5輌が4扉化されたのにとどまった。この時すぐには改番されなかったので、しばらくは2扉と4扉のモハ42が存在した。戦争で無理矢理に格下げされた4扉モハ42形5輌は、その後もせつない運命を辿ることになる。敗戦間近い1945年(昭和20年) 6月、モハ42 004は神崎にて漏電により突然発火し全焼、更に同年7月には003が明石電車区にてアメリカ軍の爆撃を受け焼失してしまった。残った3輌(002・007・010)は1953年(昭和28年)の称号改正でモハ32000・001・002となり、高槻・淀川・岡山の3区に分散配置されたが、1形式1輌という立場では活躍のしようもなく、いずれも予備車として電車区の側線を温めることが多かったようである。 |