


1939年(昭和14年)、欧州ではイギリス・フランスがドイツに宣戦を布告して第2次世界大戦が勃発、極東ではノモンハン事件で日本軍がソ連軍に大敗北を喫した年。世の中が暗くなると人々は日常により強く明るさを求めるようになる。客車の世界では1938年(昭和13年)に製造されたスロ30960形(後のオロ36形)に広窓が採用されたのを皮切りに、翌1939年(昭和14年)には3等車であるスハ33650形(後のオハ35形)にも取り入れられた。窓幅は従来の600mmから1,000mmに拡がり、車窓の眺めも一挙に2倍近くに良くなったわけである。オハ35形は1950年(昭和25年)迄の12年間に1,308輌が製造されたため、調べ始めるとそれだけで本になってしまうほどのバラエティがある。細部に亘る小改造も含めれば1輌1輌全て異なっているといっても過言ではない。写真は青森駅にて都合良く隣り合わせで逆向きに連結された戦前形丸屋根のオハ35形。青15号に塗られた1941年(昭和16年)日本車輌製オハ352425とぶどう2号の1946年(昭和21年)新潟鉄工所製オハ35 2692、いずれも秋田運転区の所属車である。できるだけ原形に近い車を、と思って2輌を選んだつもりだったが、ふと足下を見ると2425はコロ軸受として試作されたTR23H型台車を、2692の方はコロ軸受量産タイプのTR34型をはいていた。 |