


昭和40年代に多く見られた蒸気機関車とディーゼル機関車との出会いの中でD51とDF50の出会いほど感傷的なシーンはあるまい。1100余輌の製造輌数をもって昭和30年代迄の鉄道輸送を牛耳っていたD51と、それを淘汰する目的で生を与えられたDF50。D51の動輪周最大出力は1280PS、粘着牽引力14.9t、一方のDF50の連続定格出力は600kw/hで最大引張力12.5t、蒸機とディーゼルでは単純な数字での性能比較はできないし、DF50自体が非常に過渡期的な存在であったことを考慮したとしても、十河国鉄総裁の悲願である国鉄動力近代化の旗手のひとりとしてDF50はあまりにも非力であった。そのDF50は「無煙化」という(ディーゼル機関であるから正確には無煙化ともいえないが)目的だけを達成し、山陰線におけるD51の終焉を見届けると間もなく自らも消滅していったのだった。 |