

「悲運の車輌」と呼ばれるためには、少なくともその車輌自体が優秀であることが前提条件となる。優秀でなければたとえ不遇の生涯を送ったとしてもそれは自己責任によるものであって、時代や環境が悪かったせいではない。阪和電気鉄道モタ3000系電車はモタ300系のモデルチェンジ車として1939年(昭和14年)にメーカーへ発注、定格出力150kw/hのTDK-529-A型電動機4基を搭載した動力性能もさることながら、ノーシル・ノーヘッダーの車体に優美な釣鐘形の窓を配したデザインはまさに短期間に数多くの名車を輩出した阪和電車の集大成ともいうべき作品となるはずだった。が、登場した時期が悪すぎた。折からの臨戦体制下で電装品が調達できずに完成が遅れ、デビューした時には発注した阪和電鉄は南海鉄道に合併されてすでに消滅しており、更に国有化されて戦後は国電20系に編入された。高性能といえども所詮は「社形国電」の扱いを受けて早々と整理対象となり、1967年(昭和42年)には全車が消滅している。まだ車齢は若かったが高性能すぎてモタ3000系に関しては私鉄での引き取り手もなかった。もちろん保存車もない。写真はモタ3000系の制御車クタ7000形の7007として1942年(昭和17年)に帝国車輌で製造され、買収後はクハ6256を経てクハ25 107として活躍した車輌。 |