

プロ・カメラマンの川井聡さんが掲示板に書かれた一節。昭和40年代。福知山線で神崎川を越えるとき、「ものごっつい」くっさーい臭いが、車内に立ち込めたものです。時季が悪いと淀川でも結構臭かったし。まさか阪急電鉄がそれを考慮して、悪臭ハナ直撃しない下降窓を採用したわけじゃないでしょうが、あのころの臭みは。今も記憶の何処かに入っています。最も、コドモだったあたしは、その「くっさいにおい」をなぜかクンクンクン嗅いでました。時代は少し遡るが、豊中市の庄内という町で生まれた私も共通の想い出を持っている。梅田へ出るときは必ず阪急宝塚線に乗り、神崎川の鉄橋を渡る時に必ずこの異臭を嗅いだ。それは腐敗臭と、何かが燃える臭いと化学薬品の臭いとが混じった何ともいえない複雑な臭いだったと思う。そしてその時に乗った電車は大抵610形(Tcは670形)だったのである。鳥には孵化して最初に見た物を「親」だと認知するインプリンティングという習性があるが、私は生まれて最初に見た電車が阪急610形だったので、以後、「電車」といえば610形を連想する。子供の頃に「電車を描け」といわれれば自然に610形を描いたし、それは今も同じ、おそらく死ぬまで私は610形を描き続けるのだろう。郷里の事を想い出す時、必ず阪急610形と神崎川の異臭とがセットで記憶に蘇ってくる。腐敗臭と燃焼臭と化学薬品臭の混合臭が人体に良いわけないと思うが、一応私は今も健康である。 |