1960.5. 明大前駅 Photo by: T. Satomi

京王帝都」とは考えてみれば不思議な会社名で、「京」と「都」は同義語だし

「王」と「帝」も同義語だから完全な重複表現になっている。

もっともそうなった理由は至極単純な話で、元々「京王電軌」と「帝都電鉄」

という全く別の会社が太平洋戦争中に東京急行電鉄、俗に言う「大東急」に

合併され、戦後になって分離独立した際に京王と帝都がひとつの会社に

まとめられたためである。

しかし京王電軌がその名の通り生い立ちの路面電車としての色彩を残し、

軌間も東京都電と同じ1,372mmを採用していたのに対し、帝都電鉄の方

は国鉄と同じ1,067mm軌間で、合併後も後身である京王線と井の頭線とは

特徴がかなり異ならざるを得なかった。

帝都電鉄におけるスターはとえば、文句なくモハ100形を挙げることが

できるだろう。モハ100形は1933年(昭和8年)の同社開業に伴って川崎車輌

で9輌が製造された17m級3扉の半鋼製電車で、105kwという高出力の

電動機4個を搭載、翌1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)にかけて同系統

車のモハ200形8輌も加わり、帝都の100形・200形は同社の顔であった

ばかりでなく、関東民鉄を代表する名車のひとつだった。

大東急合併でモハ100形はデハ1400形に、モハ200形は1450形に改称

されたのも束の間、1945年(昭和20年) 5月25日の東京空襲で永福町車庫は

壊滅、1400形・1450形で無傷で残ったのはそれぞれ2輌ずつのみという

惨状を呈した。上のデハ1402はその生き残りの1輌で、片運転台化された

他にモハ100形の特徴のひとつだった妻板運転室窓上の大きなヒサシが

なくなり、おでこのヘッドライトも標準位置に改造されているが、それ以外は

よく原形を保っていた。

しかし同車は後に京王線に転用、その際に台車を交換、パンタグラフを貫通

路側へ移設、ヘッドライト2灯化等のの工事が施されたために外観は大きく

変わってしまった。


以前の大画像

●NO.1:DD20 2号機 ●NO.2:D51 265号機 ●NO.3:紀州鉄道キハ40801 

●NO.4:C55 19号機 ●NO.5:新京阪デイ100 ●NO.6:ED75 501号機 

●NO.7:29608号機 ●NO.8:スハ32 286 ●NO.9:D52 355号機 

●NO.10:C58 316号機 ●NO.11:食堂車ナシ20 ●NO.12:京浜急行クハ156 

●NO.13:D51 362号機 ●NO.14:ED30 1号機 ●NO.15:北見機関区転車台 

●NO.16:弘南鉄道モハ2026 ●NO.17:東武鉄道モハ3210 ●NO.18:クモハ73 024 

●NO.19:D51 727号機 ●NO.20:スハネ30 50 ●NO.21:山陽電鉄200形 

●NO.22:京阪京津線20形 ●NO.23:C11 41号機 ●NO.24:西武鉄道クハ1311 

●NO.25:C58 33号機 ●NO.26:南海電鉄モハ2001系 ●NO.27:同和小坂鉄道DC1形

●NO.28:C55 46号機 ●NO.29:C55 52号機