
1967.8. 直方駅 Photo by: Tadao. Nakajima
(この写真は転載禁止です)
今月の「大画像コーナー」では中島忠夫さんよりご提供いただいた直方駅
に停車する筑豊本線列車の大画像を掲載した。機関車と4輌編成の客車
全体がフレームいっぱいに綺麗に収まっており、中島さんの鉄道写真の撮影
角度にはいつも驚嘆させられる。
さて1919年(大正8年)から1928年(昭和3年)にかけて289輌が生産され、幹線
旅客用機関車の女王として君臨したC51形(旧18900形)蒸気機関車の
後継機としては、1928年(昭和3年)に3シリンダー機のC53形が登場したが、
慣れない新機構のせいで現場からの評判が悪く、本格的な後継機は1941年
(昭和16年)に登場するC59形を待たなければならなかった。
一方、地方幹線旅客列車用の後継機としては1932年(昭和7年)にC54形が
投入されたが、この機関車はC51形の発展改良型の域を出ず、むしろ軽量
化されたことによって粘着牽引力が不足するという結果に終わり、わずか
17輌が生産されたのにとどまった。
これに続いて1935年(昭和10年)にデビューしたのがC55形、こちらは蒸機溜と
砂箱が一体ドームに納められたり、キャブが1枚窓の小型のものに変更され
たりと形態的に大幅に改善され、まさしくC51形の後継者としての資格を
備えたパシフィック機となった。スポーク動輪に水カキがついたのも人目を
引いた。これらの改善によりC55形以降をもって近代型蒸気機関車とする
分類方法もある。
しかしC55形もわずか2年後の1937年(昭和12年)に使用圧力を16kg/cm2に、
2kg/cm2も増圧したC57形が登場するに至り、結局62輌で生産は打ち切られ
てしまった。もともとC57形は1936年度(昭和11年)予算により製造が予定され
ていたC55 63・64号機を急遽、設計変更して誕生した機関車だといわれ
ており、ある意味でわざわざC57形に形式変更する必要はなかったような
気もするが、それは今さら言っても仕方のない話。
結局、大正の名機C51形蒸気機関車の跡目争いはC57形とC59形に軍配
が上がったのである。
62輌の中所帯に終わったC55形は、常にC57形の影に隠れるようにして、
晩年は宗谷・函館・関西・山陰・播但・筑豊・日豊などちょっと鄙びた路線に
分散して働いていた。
写真のC55 46号機は1937年(昭和12年)川崎車輌製で、1962年(昭和37年)
10月に大分機関区から若松機関区に転属し、以後、筑豊本線の旅客列車牽引
に活躍した。門鉄デフが実によく似合う機関車ではある。
以前の大画像
